もうひとつの知識の置き場所をみつけたのに・・・・ (今の教育に言いたいこと)(2002/03/04) - ひとり言
人間はこんなに便利なコンピューターという道具を手に入れたのに人間の脳への知識詰め込み作業をやめようとしない。知識や情報の置き場所を人間の脳ではなくコンピューターや電子ネットワーク(インターネット世界)の中に見つけたはずなのに、文部科学省や学校は、相変わらず知識を人間の脳ミソの中に置こうとしています。今は江戸時代でも、昭和でもありません。未来のはずです。未来人たちは今の人間がコンピューターが脳作業(人間の脳への知識詰め込み行動)から解放してくれる道具であることに気づいていない現代人たちの姿をコッケイに、そして歯がゆい思いで見ているのではないだろうか。人間の知識詰め込みという脳作業の時代にさよならできる今なのに、人々はそのことに気づいていない。それまで人間が自分の脳を使ってやってきた知識を貯めておき、いつでも取り出したりする行為を、人間に代わってコンピューターという道具がやってくれる。何度も言うが、そのコンピューターが人間の知識詰め込みの脳作業から解放してくれるのだ。自動車の出現によって隣町の恋人に会うのに一日かかったのが30分も車で走れば会えるのだ。 10人で一週間かかった農作業がトラクターが2時間で終してしまう。 人間が作り上げた道具が、恋人への切ない思いを解消し、多くの肉体労働から人間を解放したのだ。もしコンピューターが人間の知識の置き場所としての脳の役割を解放することができるとしたら、その時こそ我々は自分の脳をもっと素敵な感性とか、芸術性、創造性や優しさ、人間の本質を育てることに使うことができるのではないだろうか。自分の脳なのだから、自分の為に使おうよ!自分の脳なのに、他人の押しつけた情報の置き場所に使うのはやめましょう。 もし今の自分には要らないけれど、いつか役立つ時が来るような予感がする情報ならとりあえず、コンピューターにしまっておき、もしかして20年30年たったころ、ある歳になったとき、その情報が自分のために生き返るかもしれません。
人々が「知識の量」ではなく、その人の本質によって様々に輝ける時代がやってくるのだ。