今生きる子供達は土星旅行もできるかもしれないけれど・・・・・(2001/06/17) - ひとり言
長期間にわたり、日記を書いていなかった。ずーーーっと眠っていたわけではない。 忙しかったわけでもない。
HPの改良や、新しい無料HPへアップロードしたり何となくコンピューターに向かっていた時間は長かったと思う。
贅沢にも時間は山のようにある。でも、本当は、やらねばならない事は、山のように有るのに、そこに婿としない。
自分をごまかし、自分を見ようとせず、毎日を生きている。
私は、思考を楽しみ自分の思考に、●沈むなるもの、いやナルシズムのように、感じている。自己満足の世界。
これは無知がなるゆえであり、おめでたいことだと思っている。
本を無数に読んでいる人は、無数の価値観と無数の思考に出会っているわけで、つまりある種の答えを(作家達が出しているオリジナルなシグナル)見た来たわけで、
その上に自分のさらなるオリジナリティーが誕生するのには、ちょっとした何か?よほどのものをもっていないと思う。
無知がゆえ、様々なことを知らぬが故に、自己の発見したもの(すでに6000年前にどこかの人間が考え出したこと)に酔えるのだから、私は幸せである。
でもそれを、誰がののしることができようか?世のエリート達よ!君の持つ多くの知識や学んできた多くの答えの中から、果たしてあなたは、これらの中から何を生もうとしてるのだろう・・・
・・・今少しアルコールが脳内に入っていて気分がいいので、これを書いている。 5年生の息子がビールとチップスをテーブルにならべて待っていてくれた。
結局彼がほとんどのチップスを食べ、私は2枚だった。でも嬉しいのは、10年間生き続けた息子が、間違いなく5%くらい。日本の決めたセレモニーに従って、少しは父である私の存在を肯定してくれていたことである。
昔、自分が小学5年生の時、何をしていただろうか? TVゲームも無かったし、このインターネットも無かったし、振り返ると、何もなかったそんな時代を生きてきた自分が嬉しいと思うはなぜだろう・・・・
今生きる子供達は土星旅行もできるかもしれないけれど、私はかろうじて火星のフォボスあたりかもしれない・・・・
振り返ると、10歳のころ、今ある物は全て無く、今は無き古き物に囲まれて生きてきた自分が嬉しいのだ。今よりは原始的な劣った真空管のラジオ(裸事嗚)やテレビ(照れ美)だけだった。
でも、自分を不幸だとは思わない。 ・・・・それらの真空のガラスの向こうに赤く光るほのかなヒーターを見て育った自分だからこそ、物の無い時代を生き、だからこそ、それなりに感じて生きてこれた自分だから、ゆえに嬉しいのだ。
今、毎日1億もの情報にドップリ浸かりなが生きなくてはならない今の子供達は、少し哀れ・・・・・
それを人々、つまり日本人は、ITだの,画期的なこと、幸せのバラ色の人生と賞賛しているのだから・・・・・これ不思議である。
あふれていることが、多量であることが、満たされていることが、幸福なこと・・・・物のない時代に生きた過去をもつ日本人の子孫だからこそ不思議にもそのことが
変であるとも感じないのかもしれない。自分たちが求めてきた価値観なのだから・・・・本当に必要な物は・・・・本当に人間を幸せにするものは、何なのか?
でも心のどこかで、今の世の中、今私たちが選択している社会が、真の人間が目指すゴールでないことは分かっているのだと思う・・・・・